のびのびおんがく

心に残ったライブのことを書きます。

愛とは

 

KYOTO MOXYへ、ザ・キャプテンズ 傷彦さんwithテッドさんと、私の思い出 登山さんのツーマンライブに行ってきた。

個人的に久しぶりのライブで、はじめての傷彦さん、久しぶりの登山さん。

 

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傷彦さんは、まっすぐな眼差しで、愛を歌う人だった。保護者として来たと言っていた、やさしさの塊テッドさんと共に、ギターと歌とバラのステージ。

 

愛とはなんだろう。

歌えるものなのか、歌うからこそ生まれるものなのか。どこから来て、どこに向かうのか。

愛してると言ったことがない私は、このステージの1時間弱で、一生分の愛という言葉を聞いたかもしれない。

 

ドーナッツの真ん中をあなたにあげる〜と歌っていた「ドーナッツのうた」が心に残った。

ドーナツそのものがほしいと思った卑しい私だが、ドーナツとドーナツの真ん中の関係性を考えていたら、なんだかうまく言えないけれど究極の愛の形なのかもしれないと思った。

 

愛を言葉にするということは覚悟がいる。それは、自分の中身を矢面に立たせるということだから。

伝わることもある。伝わらないこともある。伝え方もひとつではない。だからこそ、歌があるのかもしれないと思う。

 

傷彦さんのステージは、笑いあり、バラあり、真っ直ぐな瞳あり、熱唱ありのステージ。

楽しむ客、一体となる会場、心躍らせる音楽。その中に、いくつもの愛の形があると、私は信じて止まない。

 

 

愛を言葉にする強さと、言葉にせず伝える強さ。どちらもある。

 

私はなぜか、登山さんのシャウトに泣きそうになっていた。

「俺は死なない」と歌われると、心がぎゅっとなって、泣けてきて、私も逃げちゃだめだって思う。

人の苦しみは人のものだし、自分の孤独は自分のもの。だけど、歌を聞いていると、そのことが、寂しいことではないのかもしれないと思える。

 

「お米フリーク」を歌いながら、ベイベー!と叫びつつ「ベイベーって言ったらかっこいいと思ってるけど、これは何に対するベイベーなんすかね」と笑っていた。

だけど、そんな照れ隠しじゃない、弾き語りのシャウトには、言葉で表しきれないいろんな思いが詰まっていると思った。

 

「おにぎりユニバース」を久しぶりに聴いた。私の思い出は、おにぎりで愛を歌っていたのかもしれないと思った。

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久しぶりのライブは、なんだかふわふわとしていた。自分が定まらず、心から楽しむ気持ちを少し忘れていたように思う。

だけど、自分の好きな、大切に思うものは、やっぱり大切にしたい。この気持ちが強くなった。

なにかとへこみがちだったけれど、力を取り戻した気がした。